2014年04月05日
2014年03月29日
シコブチ神社・・・近江の国の「カッパ伝説」
以前から気になっていた「シコブチ神社」。
朽木のフォーラムを機に、比較的訪ねやすそうな8社を巡ってきました。

思子渕神社(高島市安曇川町中野)
本殿に繋がる車道が出来たことによって
歩く人が少なくなったのか
・・・苔むした参道がステキでした。
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朽木のフォーラムを機に、比較的訪ねやすそうな8社を巡ってきました。

思子渕神社(高島市安曇川町中野)
本殿に繋がる車道が出来たことによって
歩く人が少なくなったのか
・・・苔むした参道がステキでした。
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2014年03月08日
近江の国・湖西を訪ねる
冷たい北風の吹くなか、高島市で行われた上御殿遺跡発掘調査の現地説明会に参加。

この遺跡は、去年、双環柄頭短剣(オルドル式銅剣に類似?)の鋳型が出土したことで話題を呼んだところ。


上記鋳型以外のこれまでの調査成果を見ると、土器棺墓(縄文時代中期後半)、方形周溝墓(弥生時代終末)、竪穴住居(古墳時代前期)、居宅・倉庫群・祭祀遺物(人形代・馬形代・墨書人名土器。奈良~平安時代)、掘立柱建物(奈良~平安時代)、馬具(轡。平安時代後期~鎌倉時代初期)、こけら経(室町時代後期)に加えて、今回の古墳(古墳時代後期)など多期にわたる様々な遺構・遺物が出土した複合遺跡。
鋳型出土地から北北西60mほどのところで確認された古墳は、径約12.8mの円墳。周溝の幅1.4~1.9m・深さ0.4m。

主体部は、長さ3.2m(棺内2,4m)・幅0.75m・棺材厚さ0.1mの木棺直葬墳。頭部と脚部の両端小口部分に石と白色粘土。丹後地方の5C後半~6C末の古墳に観られる特徴に類似。・・・日本海側地域との交流があった?
墓壙は、南北4.7m・東西1.7m(南端・脚部)~1.9m(北端・頭部)。棺内の底面全体に赤色顔料。
ガラス玉7点出土、今後、調査の進展により増加するかも?

【追記】
3月8日 第102回滋賀県埋蔵文化財センター研究会「平成25年度滋賀県発掘調査成果報告会」が大津市内で行われました。 報告のあった遺跡は、水口岡山城遺跡(第2次調査)・曼荼羅山古墳群など9遺跡。
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この遺跡は、去年、双環柄頭短剣(オルドル式銅剣に類似?)の鋳型が出土したことで話題を呼んだところ。
上記鋳型以外のこれまでの調査成果を見ると、土器棺墓(縄文時代中期後半)、方形周溝墓(弥生時代終末)、竪穴住居(古墳時代前期)、居宅・倉庫群・祭祀遺物(人形代・馬形代・墨書人名土器。奈良~平安時代)、掘立柱建物(奈良~平安時代)、馬具(轡。平安時代後期~鎌倉時代初期)、こけら経(室町時代後期)に加えて、今回の古墳(古墳時代後期)など多期にわたる様々な遺構・遺物が出土した複合遺跡。
鋳型出土地から北北西60mほどのところで確認された古墳は、径約12.8mの円墳。周溝の幅1.4~1.9m・深さ0.4m。


主体部は、長さ3.2m(棺内2,4m)・幅0.75m・棺材厚さ0.1mの木棺直葬墳。頭部と脚部の両端小口部分に石と白色粘土。丹後地方の5C後半~6C末の古墳に観られる特徴に類似。・・・日本海側地域との交流があった?

墓壙は、南北4.7m・東西1.7m(南端・脚部)~1.9m(北端・頭部)。棺内の底面全体に赤色顔料。

ガラス玉7点出土、今後、調査の進展により増加するかも?


【追記】
3月8日 第102回滋賀県埋蔵文化財センター研究会「平成25年度滋賀県発掘調査成果報告会」が大津市内で行われました。 報告のあった遺跡は、水口岡山城遺跡(第2次調査)・曼荼羅山古墳群など9遺跡。

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2014年02月22日
近江の国・湖西路を訪ねる~曼荼羅山古墳群(真野北古墳群)
時折り小雪が散らつく寒い日ですが、大津市北郊・真野の古墳の現地説明会に行ってきました。
曼荼羅山古墳群
曼荼羅山の北尾根上から主に西北側に120基ほどが分布。
今回の発掘調査は西麓の真野北小学校に隣接する1~5号墳(西側から順にナンバーリング)の5基。
5基とも円墳、(右袖式?)横穴式石室、木棺の古墳時代後期(6C後半)の古墳。
比較的程度の良い5号墳だけが整備・保存される予定。

1号墳(径21m、玄室の奥行3.8m・幅1.8m・高さ2.5m)
壁石の最下段は立てられ、2段目から横向きに積み上げられている(※春日よ魔古墳群と同じ工法)。羨道部壁石の一部が残存。


2号墳(径17m、玄室の奥行3.7m・幅1.9m・高さ?m)
基底部及び最下段の壁石、床面の一部(埋土に覆われていた部分)に河原石の敷石が残存。天井石は崩れていた。
木棺の頭部に鉄鏃・耳環、西側の腰部に鉄鏃(刀子?)、足下に須恵器。


3号墳(径16m、玄室の奥行?m・幅2.2m・高さ?m)
壁石最下段の一部が残存。床面に排水溝(幅30cm弱。両側に石を立て、その上に蓋石を載せた暗渠状)。

4号墳(径12m・玄室の奥行?m・幅?m・高さ?m)
玄室の残存状況は不鮮明。壁石は1枚だけ残存。床面に礫石。

5号墳(径15m・玄室の奥行4.1m・幅2.2m・高さ2.0m)
奥の壁石は、最下段部のみ残存し上段部なし。頭部に鉄鏃(刀)。羨道部の壁石の一部が残存。

これらの石室は、比叡山麓の坂本以南に観られる渡来系の「ドーム型(持ち送りの壁)」ではなく、南の丘陵にある春日山古墳群と同じ「畿内型」。
20cm厚の平たい石材は、湖東流紋岩が多用されている春日山古墳群とは異なって板石状の花崗岩。
なお、壁石の多くは後世に抜き取られている。 石垣等に流用されたのか?
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曼荼羅山古墳群
曼荼羅山の北尾根上から主に西北側に120基ほどが分布。
今回の発掘調査は西麓の真野北小学校に隣接する1~5号墳(西側から順にナンバーリング)の5基。
5基とも円墳、(右袖式?)横穴式石室、木棺の古墳時代後期(6C後半)の古墳。
比較的程度の良い5号墳だけが整備・保存される予定。
1号墳(径21m、玄室の奥行3.8m・幅1.8m・高さ2.5m)
壁石の最下段は立てられ、2段目から横向きに積み上げられている(※春日よ魔古墳群と同じ工法)。羨道部壁石の一部が残存。
2号墳(径17m、玄室の奥行3.7m・幅1.9m・高さ?m)
基底部及び最下段の壁石、床面の一部(埋土に覆われていた部分)に河原石の敷石が残存。天井石は崩れていた。
木棺の頭部に鉄鏃・耳環、西側の腰部に鉄鏃(刀子?)、足下に須恵器。
3号墳(径16m、玄室の奥行?m・幅2.2m・高さ?m)
壁石最下段の一部が残存。床面に排水溝(幅30cm弱。両側に石を立て、その上に蓋石を載せた暗渠状)。
4号墳(径12m・玄室の奥行?m・幅?m・高さ?m)
玄室の残存状況は不鮮明。壁石は1枚だけ残存。床面に礫石。
5号墳(径15m・玄室の奥行4.1m・幅2.2m・高さ2.0m)
奥の壁石は、最下段部のみ残存し上段部なし。頭部に鉄鏃(刀)。羨道部の壁石の一部が残存。
これらの石室は、比叡山麓の坂本以南に観られる渡来系の「ドーム型(持ち送りの壁)」ではなく、南の丘陵にある春日山古墳群と同じ「畿内型」。
20cm厚の平たい石材は、湖東流紋岩が多用されている春日山古墳群とは異なって板石状の花崗岩。
なお、壁石の多くは後世に抜き取られている。 石垣等に流用されたのか?
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2014年02月07日
近江の国・湖西路を歩く
明日は大雪とか・・・
そんな天気予報がウソのような今日の青空~

JR湖西線・小野駅の西、曼荼羅山の西麓、真野北小学校の北隣にある古墳群。
(曼陀羅山古墳群全体では5群117基)
発掘調査も終盤を迎えているようで、墳丘は禿げ頭に~、それぞれ南に開口した石室・・・

2号墳の天井石は?
・・・・・ 墳丘下、北側に転がっていました。

今月下旬に現地説明会が予定されているとか・・・楽しみ~(^J^) 続きを読む
そんな天気予報がウソのような今日の青空~
JR湖西線・小野駅の西、曼荼羅山の西麓、真野北小学校の北隣にある古墳群。
(曼陀羅山古墳群全体では5群117基)
発掘調査も終盤を迎えているようで、墳丘は禿げ頭に~、それぞれ南に開口した石室・・・
2号墳の天井石は?
・・・・・ 墳丘下、北側に転がっていました。
今月下旬に現地説明会が予定されているとか・・・楽しみ~(^J^) 続きを読む