この広告は365日以上更新がないブログに表示されます。  

Posted by 滋賀咲くブログ at

2013年03月30日

「九州北部・5泊7日 徘徊の記」(その3/3)

さて、今回の九州の旅も、いよいよ最終コーナーに入りました。

大満足の一日だった昨日、ホテルに着いて、同好の友と早速チャット。
「(研究室のフィールドワークで)私が行った夏は金網がしてあり洞窟前の祠から先は行けず、中は真っ暗でした。最終日で、それに中に入れたのはとてもlucky! 一般では、現世代の最後の目撃者ではないですか? まさか、調査の最終日を事前に調べていたとかはないでしょうね。・・・・・」

 最終日、きょうも何が待っているのか楽しみな一日のスタートです(^o^)

3月3日(日)Q大村⇒R東彼杵⇒S神埼⇒Tみやき⇒U久留米⇒


Q:「玖島(大村)城」&城下を散策。3万石に満たない?大名の城にしては、なかなかのもの、とくに枡形虎口の高石垣は特筆に値するものでした。

市内の武家屋敷跡の通りには、お住まいの方により手入れが行き届いた石垣が整然と残っていました。

海に面した競艇場の南西、岬の突端に古墳時代終末期の「玖島崎古墳群」がありました。

R:「ひさご塚古墳」。後円部に比して、極端に低く幅の狭い前方後円墳が復元整備され、竪穴系横口式石棺が墳丘の横に移設されていました。

S:佐賀市周辺に立ち寄る時間はないと思いスルーして、今回の旅行の目的地のひとつ「脊振山」に直行です。

はじめて「平原遺跡」に行ったときに、聖なる山と教えられてから、いつかは登りたいと思っていました。山麓の「脊振神社(下社)」と岩穴の「白蛇神社(堂)」に詣でたあと山頂の上宮へ。
中国からの汚染大気で微かに玄界灘は見える程度でした。時間とともに視界が悪くなってくるので、早々に下山しました。
なお、脊振山の山頂には、航空自衛隊のレーダ基地があるお蔭で、山頂の近くまで道路ができおり、楽に行けました。

T:下山後、久留米を目指して走行していたところ、町名が目に入り、肥前一の宮のひとつ「千栗八幡宮」へ行き『肥前鳥居』などを観ました。
近くの農道で、眼前をタヌキが横切って行きました、真昼間です(笑)

ここに来るまでの間には「吉野ヶ里遺跡」もあるのですが、テーマパーク化したことによって、かつて発掘調査中に何度か訪れた時の関心は消え去り無視です(苦笑)。
このあと、「姉川城跡」へ、とも思ったのですが、久留米へ急ぎました。

U:「浦山古墳」。5世紀後半の『帆立貝式古墳』。
成田山新勝寺久留米分院の本堂で所要の手続きをしたあと、鍵とライトを借りて後円部の石室へ。石棺の蓋に線刻画? 羨道の天井石に降り、粉土に顔をつけながら4個の突起を持つ『家形石棺』の内部を覗くと壁に線刻画が・・・

(石室の中に入ろうかな・・・って思ったりもしたのですが、足場がなく、国指定の史跡である石棺の中に足を入れるのはチト不味いと思い、止しました。)

石室の見学を堪能したあと、今回、まだ一度も古代城跡を見ていなかったことを思いだし、水門のような石垣は無いのですが山腹を腹巻状に囲っている「高良の神籠石」を見に行きました。本当に久し振りに・・・。

 旅の最後は、「篠山(久留米)城」。ここも本丸の高石垣がすばらしく日暮れまで遊ばせていただきました。

3月4日(月)⇒大津・着
 明けて翌日、湖西道路から見えた比良山の雪冠と空のコントラスト、北部九州の空とは違って美しく輝いて見えました。

総走行キロ:1991km(← ごく限られた範囲の移動だったので、思いのほか少な目でした。クルマを乗換えて初めての1000km超えドライブ、高速では法定速度厳守?で驚きの14~15km/lでした。 ※ハイブリッドではない、2400cc)  続きを読む


Posted by あきさん at 11:41Comments(0)九州

2013年03月29日

「九州北部・5泊7日 徘徊の記」(その2/3)

先月26日夜に大津を発ってから4日目に入りました。
そろそろ、疲れも出始めました。何事もなければ良いのですが・・・。

3月1日(金)唐津⇒J鎮西⇒K松浦(鷹島)⇒L伊万里・泊

I:小雨の中、朝一番に「葉山尻支石墓群」を訪ねた後、「久里双水古墳」へ。20年?ぶりの再会、心なしかちょっと太ったような、でも美しい・・・。なぜか、この時だけは雨も止んでくれました。初恋の古墳です(^o^)

市街地に戻り、石垣の修復作業が行われている「唐津城」を再訪した後、「文化財センター西ノ門館」をベースに市内を散策。城下の整備にあたって旧来と変わらぬ石材を用いて垣根をつくるなど石垣を活用した街づくり?に好感を覚えました。

J:「名護屋城」に到着した頃に雨は本降りに、「博物館」はリニューアル中で休館。(-_-;)
ここの天守台は海風が強いので石垣遺構をカメラに収めただけで早々に退散しました。周辺では、各大名の陣跡を示す案内板や散策路などが新しく整備されていました。

K:今日の「腰岳」登山は明日に延期したので、時間に余裕できました。
長崎県の「鷹島」へ渡り「埋文センター」で海底遺跡から引揚げられた元寇の遺物を見学。そうです、以前、新聞紙上を賑わした『あれ』です。資料館まえの展望台から遺物を引き上げた湾内が一望できました。【写真】

L:きょうの宿泊予定地・伊万里に早く着いたので「歴史民俗資料館」へ・・・お茶をご馳走になりながら雑談。
「腰岳」登山の登り口が分かり辛いということで、一人しかおられない学芸員さんが、早々に仕事を切り上げて登り口まで案内してくださいました。途中の案内表示が全くなく、ナビにも載っていない道、持参した資料だけでは、99%、辿り着けないような所でした。

3月2日(土)M伊万里⇒N松浦⇒O平戸(生口)⇒P佐世保⇒大村・泊

M:待望の「腰岳」へ。駐車場と山頂の中間点(頂上から南尾根を400m下降)付近に大きいもので拳大の『黒曜石』が径100~150mの範囲に集・散在していました、Get。ここ「腰岳」をはじめ松浦地域には『黒曜石』の産出地が多くあります。しかし、去年、大分県の「姫島」で見たような露頭は、随分、探したのですが、見つかりませんでした。頂上から200m付近まで、加圧変性を受けていない?火山灰の堆積層がありました、Get。

 下山後、伊万里焼の窯元が集住する「大川内山」【写真】でウィンドウに展示された焼き物や登り窯などを見つつ散策した後、「白蛇山岩陰遺跡」へ。
旧石器~縄文時代の遺跡で、中世には修験道の修業場であったとか・・・岩穴にたくさんの五輪塔が並んでいました。

N:国道の大きな看板に誘われ寄り道して「松浦党梶谷城跡」へ・・・主郭の下までクルマで登れる山城です。伊万里湾の入り口を押えた絶好のロケーション、湾内全域を見渡すことができる素晴らしい展望。野面積みの石垣が多く残っています。隅が崩されているのは、破城をしたのでしようか。遺跡地図を見ると松浦半島のいたるところに中世の城郭(砦?)があるようです。恐るべし松浦党(海賊?、倭寇?)

O:田平町にある「里田原歴史民俗資料館」で情報を得て、資料館の裏、田圃の中に保存されている「里田原遺跡」1号~3号の支石墓を見て回りました。ここまで、3ヶ所(G&I)の支石墓を見てきましたが、ここの形状が一番良く分かりました。・・・ここで、アクシデント発生(笑)。防獣柵が張り巡らされており、すぐ目の前にある遺構に近づけない。開錠できるところがないかとアチコチ、ウロウロ・・・。柵の隙間から入り、同じところから出ようとしたのですが・・・。

 血止めの応急措置をした後、最西端の鉄道駅「たびら平戸口駅」へ。駅舎内にミニ鉄道博物館があるのですが、お昼休みでした。先を急ぎます。

平戸大橋から右手に見える「平戸城」(平戸の街は思っていたほど大きくはなくこじんまりとしていました。)に立ち寄った後、「生月島」まで足を伸ばしました。この辺り、本当に海がキレイですが、それに比べて水平線は・・・中国からの汚染大気でハッキリしません。

P:ゆっくりし過ぎました。この後の探訪先を迷いながら本土最西端の「神埼鼻」に行った後、「福井洞窟遺跡」へ。途中、佐々川では両岸に『四つ手網』がズラリと十数網が並んでいました。当地、早春の風物詩『シロウオ漁』だそうです。

 「福井洞窟」では、去年の2月からの発掘調査がちょうど終わり、埋戻しが始まるところでした。16時半、仕舞い支度をされているところだったのですが、担当技師さんが『本当に絶妙のタイミングに来られた。』と言いながら、現場を案内してくださいました。(^o^)
ヘルメットを借りて、調査坑へ。
岩庇、祠の前に開けられた調査坑を上から観たあと仮設階段を下り、調査面を間近に観察させていただくことができました。
1万6千~8千年前より古い旧石器時代の遺構面には土の焼けた「炉跡」が2ヶ所、その近くには、サヌカイトと黒曜石、さらにその傾斜面の下には敷石遺構と黒曜石、そして・・・【写真】
資料を一冊購入したのですが、サービス?で佐世保市内の遺跡の発掘調査報告書を2冊いただきました(ラッキー)

 夕暮れが迫るなか、遺構が良く残っているそうな松浦党の直谷城に後ろ髪をひかれながらも急いで「泉福寺洞穴」へ。福井洞窟よりも古い遺跡です。事前に同好の友(というより師のひとりかな、かつての遺跡発掘調査の仲間)から駐車場所がないと聞いていたので、先ほどの技師さんから、取っておきの場所をご教示いただきました[内緒です(^o^)]

 これまで、国内の洞窟遺跡や岩蔭遺跡を30数ヶ所、見て来たのですが、日向洞窟など一部を除いて、総じて近くに河川(海)があり、川岸から一段高くなった絶壁にある洞窟を利用していることが多いようです。今回訪ねた3ヶ所ともそうでした。
  続きを読む


Posted by あきさん at 11:43Comments(0)九州

2013年03月28日

「九州北部・5泊7日 徘徊の記」(その1/3)

有り余るほどの時間があるので、
その時々の気分次第でアチコチ放浪。

今年に入ってから、
県内の日野町&甲賀市の城郭跡の探訪を重ねている。

この間、
A:2月下旬~3月上旬に九州北部、
B:3月中旬~下旬に四国を半周

それぞれ、これまで何度か訪れた処でもあるのだが
その都度、新しい発見もあり、楽しい。

さて、Aのコース(探訪した遺跡など)は、
夜間の高速道路、路面の凍結が危惧されたので山陽自動車道を利用。

2月27日(水)下関⇒A北九州⇒B新宮⇒C芦屋⇒D宗像・泊
A:2~3台のスペースしかない北九州市立埋蔵文化財センターの駐車場にクルマを置いて小倉城へ。
市立自然史・歴史博物館「いのちのたび博物館」はリニューアル中で休館中。

B:なので、行程途上にある「新宮町立歴史資料館」へ、ここも展示替えのため休館(-_-;)

C:気を取り直して、芦屋の「歴史の里(歴史民俗資料館)」へ。展示資料で海岸の地層が面白そうなので「堂山」へ。
・・・たくさんの『ノジュール』(貝などの動物化石を核として、珪酸などが濃集沈殿して固まり出来たもの)や『貝化石(アシヤニシキ)』を見る。【写真】

著名な「山鹿貝塚」は『ブッシュが酷く地表面は観れない』とのことだったので、立ち寄らず。

D:整備中の「神湊港」から宗像市営の渡船で「(宗像)大島」へ渡り、「宗像大社中津宮」と「沖津宮遥拝所」へ・・・天気が良く風もあったが、中国からの汚染大気のためか、沖ノ島は遠望すれど???。暑くて汗だくに。

神湊に戻ってから宗像大社第一の摂社「織幡神社」へ。摂社と言ってもバカにできない、県内随一の水揚げを誇る猟師町鐘崎の岬、佐屋形山にはたいそう立派な社殿。主祭神は武内大臣(宿禰)。社の裏山の頂まで登ってみたが磐座の類は見当たらず。

このあと「宗像大社辺津宮」へ。以前は、直ぐ近くまで行けた「高宮斎場(大神御降臨の地・磐座)」は、遠くから拝するようになっていた。夕暮れも迫ってきたので、九州初日はここまででホテルへ。

2月28日(木)宗像⇒E福津⇒F福岡⇒G前原⇒H唐津・泊

E:きょうも好天。昨夜、策を練って未踏の福津市「津屋崎古墳群」へ。
「勝浦井の浦古墳」&「勝浦峯の畑古墳」は、どちらも前方後円墳なのだが、土取りなどで攪乱されており、墳形も大きく変わっていた。

畑作地に集在している「新原・奴山古墳群」は、全てが盗掘?調査跡?で多くの墳丘では、主体部の封土がなし。土器片が散らばっていたり、石室材が剥き出しになっているものも。見学したのは10数基だけだったが、周辺には、まだまだ古墳が散在していた。

市街地に向かい「宮地嶽古墳」。宮地嶽神社内(祭神:息長足比売命=神功皇后)にあるが、この日『ぜんざい祭(一心に願いを込めてお祈りすれば「善哉 善哉 (ぜんざい ぜんざい よきかな よきかな)」といってお聞き届け下さる見代わり不動…。 このぜんざいを頂くと一年中無病息災は疑いなし。)』が執り行われており、ぜんざいがふるまわれていた。1時間待ちの凄い行列だったが、『お参りだけなら、どうぞ~』といわれて、ごぼう抜き?、横入り?するように、お不動さんを祀ってある古墳の石室内部へ。大きな側壁石で造られた羨道で御払いを受けたあと仏前へ・・・、石室は???、見えません、石室内に設えられた御堂の後ろ(-_-;)

F:『漢委奴國王』印の出土地だという福岡市志賀島「金印公園」から「志賀海神社(祭神:綿津見三神)」へ、志賀島を一周。

 市街地中心部をスルーして、今津へ。海岸の松林に200mほどの「元寇防塁跡」を見ることができ満足(以前に見た西新の西南学院大学のそれは、あまりにもお粗末だったので・・・・)。

 「丸隈山古墳」では、板石を積み上げた石室の中、並列に2基の組合せ式の箱式石棺が・・・後円部3段、前方部2~3段の前方後円墳。【写真】

G:糸島市の「資料館」で「怡土城・水門」の情報を仕入れて行ったが・・・またも、それと確認できたのは石垣・石塁ではなく望楼跡に残る礎石群だけ。(石垣遺構を認めるも、古代のものか中世のものか判然とせず。)この神護石系の石垣は、山城系のそれに比して造りがいまいち・・・。

前回、訪ねたとき(※)は発掘調査中で封土がまったくなかった「平原遺跡(1号墓)」は、すっかり復元されていた。
※この時は、昼休み中だったので調査中の技師さんは、素人のわたしにも懇切丁寧にご教示下さった。原田大六という名をはじめて知る。

畑の中の「志登支石墓」、下の支石は見えず・・・ちょっと期待ハズレ。

H:虹の松原にあるホテルに到着後、まったく人気がなく、したがって踏み跡のない砂浜「虹の松原海岸」を散策。東に円錐状の霊峰「浮嶽(筑紫富士)」、西に「唐津城」が見えた。【写真】
  続きを読む
タグ :歴史


Posted by あきさん at 20:49Comments(0)九州