2014年08月01日

奈良・春日山原始林を歩く

少し前のことだけれど、明後日は梅雨明け~という日、
イベントに参加して、原始林の中を歩いてきた。
奈良・春日山原始林を歩く


原始林?、原生林??
ネットで検索すると、
原生林(げんせいりん)はある程度昔から現在まで、伐採や災害などによって破壊(森林破壊)されたことがなく、またほとんど人手が加えられたことのない自然のままの森林をさす。それらが一切無いものを原始林というが、それに準ずるものである。」とのことだが、
春日山原始林 - 古都奈良に存在する原生林(1998年世界遺産文化遺産)。」の記載もあり、意味不明~(笑)

これまで、登山などで『原生林』を多く訪ねてきたことはある。
それらの多くは、古代から人の手が入っていないような登山路すら満足にないブナ林や照葉樹林など・・・。

春日大社の山として禁伐令が841年に出されてから積極的に保護された結果、極相に達した原生林が6千年前から変わらず広がっているとのこと。

さて、雲行の怪しいなか、近鉄・奈良駅から路線バスに乗って、奈良公園へ。
奈良・春日山原始林を歩く


道に迷いつつ春日大社近くの駐車場から遊歩道に入り、水谷川に沿って歩く。
奈良・春日山原始林を歩く


川岸には趣のある茶店。
奈良・春日山原始林を歩く


奈良・春日山原始林を歩く

木々の間、緩やかな登りの続く道はやがて鎌研交番所に・・・。
















駐車場の脇を西に進むと鶯塚古墳。
奈良・春日山原始林を歩く


鹿の群れの横を通って若草山の山頂(342m)に到達。
あいにくの天気で遠望は利かなかったが、それでも山麓の東大寺をはじめ奈良市内は良く観えた。
奈良・春日山原始林を歩く


若草山・・・山全体が芝生でおおわれている。
この芝生、日本固有のシバで、近畿では若草山付近が唯一の自生地とのこと。
ノシバの種は堅い殻に覆われており、鹿がシバの葉と共に種を食べても、鹿の歯と胃液による消化などから堅い殻が種を守る。
ただ守るだけでなく、鹿の胃に入ると、胃液と体温(40度程度)で殻は速やかに溶けて発芽できる状態になり、未消化の種は糞とともに山に散布されることにより、ノシバは発芽する。
このサイクルを繰り返し、古来よりこの地で生息してきたそうだ。

鶯塚古墳・・・5C、全長103m・前方部幅約50m・後円部径61m、二段築成の前方後円墳。
前方部に露出している葺石の確認ができる。
日本考古学の大先達・濱田耕作はここでも埴輪を採集したとか・・・。
後円部の墳丘上に享保13年(1733)に建てられたという「鶯陵」の顕彰碑がある。
奈良・春日山原始林を歩く奈良・春日山原始林を歩く
清少納言が「枕草子」の第17段に、
陵(みささぎ)は うぐひすの陵(みささぎ)。柏原の陵。あめの陵。
と書いている「うぐひすのみささぎ」がここだとも・・・。

16代仁徳天皇の皇后、磐之媛命の墓は、現在、奈良市の北郊にある佐紀盾列古墳群のヒシアゲ古墳(平城坂上陵)が比定されている。
現在の位置に比定されたのは明治になってからで、それまでは「平城天皇陵」とされていたそうである。
奈良・春日山原始林を歩く


ところで、この磐之媛命、葛城襲津彦の娘だが、なぜ仁徳天皇と離ればなれに葬られているのかというと・・・、「書紀」(巻第十一 大鷦鷯天皇 仁德天皇)によれば、皇后である磐之媛命が紀の国へ出かけている留守に、天皇は八田皇女を難波宮に呼び寄せて寵愛したので、怒った皇后はそれ以後、筒城宮(現・京都府綴喜郡)に入って天皇の求めにも応じず、その後その地で亡くなる。
「書紀」には、
卅五年夏六月、皇后磐之媛命、薨於筒城宮。
卅七年冬十一月甲戌朔乙酉、葬皇后於乃羅山。

即ち、
仁徳天皇35年夏6月、皇后磐之媛命は筒城宮でなくなられた。
37年冬11月12日、皇后をナラ山に葬った。
と、ごく簡単に記載している。
なお、磐之媛は、履中・反噬正・允恭の各天皇の母。

駐車場まで戻って春日奥山道路を進むと、直ぐに十八丁休憩所
この休憩所の傍らにある石仏。
白粉を塗って、唇に紅が・・・悪戯?。 
なんとも異様な顔になっていた。
奈良・春日山原始林を歩く


花山・地蔵の背を過ぎ、春日奥山の最大の山桜の下を通り、さらに進むと谷から水音が聞こえてきた。 
奈良・春日山原始林を歩く


奈良・春日山原始林を歩く


案内の石碑に導かれ、遊歩道から分れて下降すると落差10mほどの鶯の瀧
滝の名は、この辺りで美しく囀る金色の小鳥を、神功皇后が「うぐいす」と名付け愛玩したことに、あるいは滝から落ちる水音がうぐいすの鳴声のように聞こえることに由来するともいわれているそうな・・・。
奈良・春日山原始林を歩く


元の遊歩道に戻ると直ぐに大原橋休憩所。 
ここに「春日山原始林」の石標が建っている。
その横からも鶯の瀧に至るルートがある。

変化のない樹林帯を進むと、間もなく芳山交番所
ここでクルマの通る春日奥山道路と別れ、未舗装の「柳生街道(滝坂道)」を下るとやがて江戸時代に奈良奉行によって敷かれたという石畳道に・・・。
奈良・春日山原始林を歩く

ここは、柳生の道場を目指す剣豪たちが往来した道。

そこの三叉路に高さ2mほどの首切地蔵が立っている。

柳生十兵衛の弟子・荒木又右衛門がためし切りしたと伝わるとおり、首のところは、真一文字にセメントで繋がれている様子。奈良・春日山原始林を歩く
奈良・春日山原始林を歩く


原始林の中、能登川沿いに石畳道を下っていくと間もなく、磨崖仏・朝日観音
真ん中に弥勒菩薩像、その両側に地蔵菩薩が刻まれている。
東面しており、朝日に映えるのでこの名が付いたとか・・・。
奈良・春日山原始林を歩く


続いて、壁面に夕日観音
奈良・春日山原始林を歩く


そのすぐ先の道端に、崖から転がり落ちてきたのか、横向きの大日如来像・寝仏
奈良・春日山原始林を歩く


右手に古墳状の連なるマウンドを見ながら下ると白乳神社、飛鳥中学校、志賀直哉旧居を経て砥石町のBSに辿り着いた。
奈良・春日山原始林を歩く


奈良・春日山原始林を歩く



春日山原始林・・・寒地性植物群と亜熱帯性植物群など多様な植物相が評価された特別天然記念物。
また、春日大社や東大寺などの建造物群と合わせて世界文化遺産にも登録されている。
奈良・春日山原始林を歩く奈良・春日山原始林を歩く
千年以上、手つかずの樹林の中を歩いていると自然の力・強風のためか、所々で幹の途中から折れた大木や根元から倒れた木々が目に付いた。

その中で育っているのがナギやナンキンハゼ。
これらの木々の出現によって春日山原始林の多様性が劣化し、春日山の照葉樹林も徐々に崩壊しつつあるのだろうか・・・。
奈良・春日山原始林を歩く



この日の総歩行数:26,676歩


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この記事へのコメント
紅葉の頃、散策もいいですね。
Posted by Yさん at 2014年08月01日 17:44
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