2014年06月06日

古都逍遥・・・佐紀路の古墳群を巡る

奈良市北部、前回歩いた佐紀路の西側地域を、東から西に歩いて来た。
古都逍遥・・・佐紀路の古墳群を巡る

スタートは近鉄・新大宮駅。
古都逍遥・・・佐紀路の古墳群を巡る

駅前の通りを北上し佐保川に架かる大宮橋を渡り、さらにR24を北に進むと一条通りとの交差点。
ここに一条高校があるが、その塀外に芸亭(うんてい)伝承地の標柱。
古代の有力豪族であった物部氏の末裔である石上氏に生まれた宅嗣は、晩年、自分の邸宅を阿閦寺(あしゅくじ)として改築した際に敷地の一郭に古今の漢籍を中心とした書籍を収蔵し希望者に閲覧を許可したのが始まり、日本最初の公開図書館。
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続日本紀巻第卅六の天応元年(七八一)六月辛亥に、以下のような石上宅嗣の死亡記事。
「石上大朝臣宅嗣薨。・・・捨其旧宅。以為阿閦寺。寺内一隅。特置外典之院。名曰芸亭。如有好学之徒。欲就閲者恣聴之。仍記条式。以貽於後。其略曰。内外両門本為一体。漸極似異。善誘不殊。僕捨家為寺。帰心久矣。為助内典。加置外書。地是伽藍。事須禁戒。庶以同志入者。無滞空有。兼忘物我。異代来者。超出塵労。帰於覚地矣。其院今見存焉。・・・」

つまり、「自分の旧宅を喜捨して阿閦寺となし、寺内の一隅に特別に外典(仏教以外の書物。ここでは、主に儒教の書物を指している?)のための院を設け芸亭と名付けた。もし、学問好きの人が来て閲覧したいと望んだらそれを許し、そのための規則を定め、後世に残した。その概略は、内(仏教)と外(儒教)はその根本は一体である。漸新さと急進さの違いはあるにしても、上手く導いていければ(その道は)異なることはない。私が家を喜捨して寺として仏教に帰依してから久しくなる。内典(仏教の経典)の理解の助けとするため、外書(儒教などの他分野の本)も加え置く。ここは(仏教の修行のための)寺なので、その修行を妨げることは何事も禁じ戒める。どうか私と同じ志(仏教への信仰)をもってここに来た人には、(様々な考え方の)空か有か(といった瑣末な事)を論じて(志を)滞らせることなく、自分の欲望を忘れて(学問や修行に励み)、後進の人達には世俗の埃や苦労を超越して悟りの境地を開いて欲しいと願うものである。」とのこと・・・。

ところで、紀には、この年、8回も地震が起こったことが記載されている。結果、年末に光仁天皇が亡くなり、皇統は桓武天皇に継がれた。

東に、在原業平が開基したと伝えられる不退寺の屋根を観ながら進むとウワナベ古墳(大和1号墳。5C中頃)の濠に出た。
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古墳外堤上に造られたバイパス道路から外れ、周濠に沿って東南部から北西部まで移動。
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墳裾に立札「宇和奈邊陵墓参考地 みだりに域内に立ち入らぬこと 魚鳥等を取らぬこと 竹木等を切らぬこと」と書かれている。

西側だけに造出し。

ちょうどその部分に対応するかのように濠堤が西に凹形。

拝所は、どこ?

航空自衛隊幹部候補生学校の正門前を通って
コナベ古墳(大和27号墳。5C前半)。
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明治の初め、W・ゴーランドが精密な実測図を作製し、日本の古墳研究しに足跡を残した。
ここも周濠の東南部から時計回りに北部に至る。
造出しが波打つように見える。
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所々、墳丘が崩れており、そこに人頭大の石、少し大きめの土器(円筒埴輪の破片なのか?)が散らばっている。
2009年の護岸整備工事に伴う発掘調査で「葺石は10センチ大の石の上に30センチ大の石を重ねる二重構造」であることが分かったとの新聞報道。
また円筒埴輪をはじめ、家形や柵形の形象埴輪の破片が見つかったとも・・・。
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周濠の南西から北西にかけて10基の古墳(陪塚?)が取囲むように並んでいる。
北東部の航空自衛隊幹部候補生学校の構内にも、かつて多くの古墳が存在したが、敗戦後、占領米軍のキャンプ施設建設のため殆んどが破壊されてしまったという。

北西部からヒシアゲ古墳(仁徳天皇皇后磐之媛命平城坂上陵、5C中~後半)
南側は二重周濠の様子。
満開のカキツバタを見つつ時計回りに一周。
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一重となった周濠の北東部には、発掘調査で分かった内堤と外濠、埴輪列出土位置などが示されている。
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ヒシアゲ古墳の南にある水上池の西畔に沿って、朽ち果てた養魚場や市庭古墳(平城天皇楊梅陵、古墳時代中期の5C前半)の杜を見ながら南下。
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陵墓の柵内には、墳頂に続く数本の踏み分け道。
前方部は平城宮の造営に伴い削平され、古墳への参道となっている。
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市庭古墳の南、眼前に平城宮大極殿。発掘調査により、かつてここに神明野古墳(墳長117m)があったことの確認されている。
古都逍遥・・・佐紀路の古墳群を巡る古都逍遥・・・佐紀路の古墳群を巡る

西進して佐紀神社(超昇寺村の式内村社)に至る。 境内に陰陽石?
古都逍遥・・・佐紀路の古墳群を巡る古都逍遥・・・佐紀路の古墳群を巡る

神社の西側に沿って北へ進み御前池と超昇寺城跡の間をとおり、佐紀神社(古超寺村の鎮守、東の佐紀神社を分神したもの?)。
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神社を出て、竹で覆われた超昇寺城跡の西側を進み
山上八幡神社から、古墳時代前期後葉の3古墳に至る。 
古都逍遥・・・佐紀路の古墳群を巡る


まず、陵山古墳(垂仁天皇皇后日葉酢媛命・狭木寺間陵、4C末) 
19C頃?まで神功陵とされ、庶民の安産祈願に結びついた「神功皇后信仰」の存在。
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古都逍遥・・・佐紀路の古墳群を巡る


一段下がって西にまわり、古墳群中、唯一、西向きの高塚古墳(孝謙・称徳天皇高野陵)。
真の「高野陵」ではなく、大型前方後円墳の被葬者に随伴する者の墓?・・・
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戻って石塚山古墳(成務天皇狭城盾列池後陵)の周濠を時計回りに、埴輪群が出土した渡土堤から陵山古墳との周堤共有部まで進む。
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古都逍遥・・・佐紀路の古墳群を巡る古都逍遥・・・佐紀路の古墳群を巡る
古都逍遥・・・佐紀路の古墳群を巡る北に向かい、陪塚の初期事例(神功皇后陵飛地い号、東ろ号、西ろ号)の傍を進み大社大神参道から丘陵上の陪塚(? に号、は号など)を観て、近鉄線を西に越え、福松大神から八幡宮を過ぎ、五社神古墳(ごさしこふん。仲哀天皇皇后・神功皇后狭城盾列池上陵)に至る。
古都逍遥・・・佐紀路の古墳群を巡る

近年、考古学・歴史学系16学協会による「立ち入り観察」が認められた初例だが、それに先立ち、墳丘裾護岸工事で西側くびれ部に造出し(※造出しの初期事例?)が確認されたことや採集された土器類など中期古墳に繋がる特徴を持つ資料が多く判明し、今後、前期後葉の築造とみられていた年代観の見直し・・・佐紀古墳群最初の大型前方後円墳という従来の評価が変わることが想定される。
なお、拝所に並ぶ8基の石燈籠は、近代になって神功陵とされた以降に御陵山古墳から移築されたものという。
古都逍遥・・・佐紀路の古墳群を巡る
古都逍遥・・・佐紀路の古墳群を巡る古都逍遥・・・佐紀路の古墳群を巡る
近鉄・平城駅から帰路につく。 この日の歩数 22,117歩。


佐紀(盾列)古墳群は、近畿中部の大古墳群である大和・柳本古墳群、馬見古墳群、古市古墳群及び百舌鳥古墳群が築かれた北緯34°33′のラインから大きく北に外れている。・・・古墳時代中期の4C後半から5C、200m以上の全長をもつ8基の大型前方後円墳が東西に並んで築かれ、それらの間を陪塚や中小の前方後円墳が埋めている。 次回は、これら中小古墳を訪ねたい。
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※ 大和から京都へ、奈良時代はこの古墳群を貫く歌姫越(下ツ道の延長)、平安時代以降は東の般若寺越が使われ、ともに奈良坂とも呼ばれている。

※※ 陵山古墳の西側堤にある事務所が老朽化したので建て替えるそうです。 
    遺構の上に乗っているこ とから場所を変えて、
    新しい事務所は、陵山古墳前方部前面西側を予定し、
    現在、遺跡の有無の確認調査が実施されているそうです。 
    以前、円筒棺が出た辺りだそうなので・・・何が出てくるかな~?? [6月11日追記]


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Posted by あきさん at 12:55│Comments(0)古代古墳奈良歴史神社
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