公園を出て昔の堤防を見ながら東に進むと
京阪・中書島駅。
支線である宇治線の起点駅。
駅広がなく、やっと確保された南口。
でも狭すぎ~。
京阪本線を越えて竹田街道を北に進み、
京橋から蓬莱橋まで
宇治川派流の遊歩道を通り、
幕末動乱の舞台となった寺田屋へ。
柳並木の遊歩道に
坂本竜馬・お龍。
蓬莱橋の袂では、托鉢する僧。
寺田屋は、
坂本竜馬・お龍の出会いの場所だとか・・・。
庭に龍馬像や殉難九烈士の碑など。
油掛通りに入り
油懸地蔵を祀る
西岸寺を参詣した後、
竹田街道との交差点にある
「我が国における
電車鉄道 事業発祥の地」の石碑(市電発祥の碑)を確認して東進し、黄桜。
わが国最初の電気鉄道(チンチン電車)は、
明治28年(1895)、
岡崎公園一帯で開かれた第4回内国勧業博覧会への客輸送のため、
明治27年に伏見(伏見下油掛)と京都駅(東洞院塩小路下ル)間、
約6kmを開通。
このとき使われた電気は、
琵琶湖疏水・蹴上発電所(日本初の水力発電)のもの。
「
カッパカントリー」の
河童資料館でひと休み。
河童のプロフィール(別称、体の特徴、好き嫌い、泣き声など)、内外のカッパ、伝説等々についてのパネル展示や小物類の展示。
道路の向かいにある
黄桜記念館では
酒造りの説明と当地「伏見」の語源となった「伏水(ふしみず)」。
1リットルまでなら取水可能とのこと
(ただし、取水時間を制限中)。
このあと
月桂冠大倉記念館・
鳥せいから
会津藩駐屯地(伏見御堂)跡を経由して京阪伏見桃山駅の近くへ・・・
駅の南西側は両替発祥のということなので、
それと分かるモノがないかと探して右往左往したが、無・・・
人通りの多いアーケード通りで「
銀座発祥の地」碑を見たあと東に進み、京阪本線、近鉄京都線を過ぎたところの御香宮へ。
銀座発祥の地。
慶長6年(1601)に徳川家康が伏見に日本初の銀座(銀貨をつくる鋳造所)を開いたのがこの辺り。
伏見の戦いの主戦地。
通り(大手筋)の左手・北側の神社内に薩摩藩を中心にした官軍、
右手・南側の伏見奉行所に幕府伝習隊、会津・桑名両藩、新撰組などの幕軍が対陣。
御香宮(祭神:神功皇后)
貞観4年(863)、
境内から湧き出した水の良い香りが四方に漂い、
この水を飲むと忽ち病気が癒えた
という奇瑞により、清和天皇からその名を賜ったという。
伏見で誕生した紀伊、水戸、尾張の徳川三侯藩祖の産土神。
神社の表門は、
伏見城大手門を移築。
境内の桃山天満宮に
伏見城跡残石を集積。
参拝路に並ぶ石も伏見城の残石か?
境内に「
伏見の戦跡」碑。
少々疲れてきたので、
本日の探訪はここまでにして、
JR桃山駅から帰路に着く。
[後日談]ブログUPの準備中に、この境内に亀甲飾りの瓦や家紋入りの金箔瓦など100点を見ることが出来る伏見城跡出土遺物展示室が有ることを知った。 次回、忘れずに訪ねたい。
※ 追記①:「
伏見港」
港としての基盤を造ったのは、豊臣秀吉。
昔より、宇治川は氾濫を繰り返し、洪水の被害にあってきた。
桃山時代に豊臣秀吉が伏見に城下町を築き、宇治川と巨椋池を分離し、宇治川左岸沿いに宇治堤、巨椋池上に太閤堤・大和街道などの堤防を築くなど宇治川の治水事業を行うとともに、宇治川と濠川を結ぶ河川港「伏見港」を造営した。
以来、江戸時代を通じて三十石船などが伏見と大坂の間を行き来した。
明治維新後は、琵琶湖疏水が開通し、大津から大阪までの新たな水運のルートが開拓され、宇治川には三十石船などに代わって蒸気船(外輪船)が運航された。
※ 追記②:「
河童資料館」
かっぱファン必見かな~。
展示物は多くないけれど、結構、調べている・・・感心~。
資料館のパネル解説の内容は、ネットでも見ることが出来る。
黄桜ギャラリー・カッパミュージアム ↓
http://www.kizakura.co.jp/ja/gallery/museum/index.html
下のバナー「考古学・原始・古墳時代」をクリックしてね
・・・ 「歴史」のブログがいっ~ぱい見れるよ (^J^)
にほんブログ村
滋賀県内の遺跡・史跡などの探訪録は、
コチラ ⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/takedream2