三栖・・・この地名との出会いは、「都市交通審議会13号答申」において、
京都市の中央部を南北に貫く新線計画の南端であることを知ったことが最初だった。
以後、なんども外環状道路を通過していたのだが・・・
今春、琵琶湖疏水の起点、大津から蹴上まで歩いたこともあり、その行きつく先である宇治川への注ぎ口・・・。 今回、やっと訪ねることができた。
JR京都駅BSから市バス19系統に乗車し約40分、新油小路の
三栖公園前BSで下車。
公園に沿って
大手筋通を東進すると、東高瀬川に架かる新大手橋の東詰に
松本酒造のレンガ造りの建物と煙突。
瓦の葺き替え工事中。
残念ながら、建物と川の間に土手があり、水面に写る景色は撮れなかった。
さらに東に進んで濠川に架かる大手橋の西詰(右岸)に「
坂本龍馬、避難の材木小屋跡」の石碑。
実際に材木小屋があった場所は碑から南東50m、橋を渡った東側(左岸)の南であったとのこと・・・。
さて、川の手前、西側の狭い道を南下すると屈曲したところに
高瀬川の標識がある小さな橋に出た。
橋を渡ると直ぐに石段があったので下る。
高瀬川と濠川の合流点、
角倉了以の記念碑。
この日、雨後のため水量が多いのか、端は川水に洗われている。
この川を観光
十石舟が通って行ったが、船外機の推進では風情がない。
河川敷の遊歩道を南進むと、で対岸に
三栖神社の鳥居が見えたので立ち寄る。
三栖神社(祭神は、天武天皇)。
壬申の乱のとき大海人皇子(のち天武天皇)の大津行幸に際して村人が大きな松明を灯して夜道を照らしたという故事に由来した「炬火祭」が10月に盛大に行われるそうだ。
左岸の河川敷遊歩道を進み京阪本線の下をくぐると
伏見港公園に出た。
宇治橋を模したのか木橋のように仕立てられた
港大橋。
川面に写って、なかなかのモノ。
対岸・右岸に渡ると伏見港の歴史を記したモニュメントなどがある。
静かな港内の所どころに釣り人の姿。
この辺りの静かな景色に心が和む。
橋上からも良く見えた閘門を目指し南に進む。
三栖閘門。
江戸時代から明治時代において、京都~大阪(大坂)を結ぶ重要な輸送手段だった淀川舟運。
その流通拠点だったのが京都の玄関口・伏見港。
大正時代の淀川改修による築堤工事により伏見港と宇治川との間を船が通航できなくなったことから、水位の異なる宇治川と濠川の間に閘門を設けて通航できるようにしたもの。
最盛期には年間2万隻以上が通航したそうだが、陸上輸送の発達により次第に減少し、宇治川の洪水対策による河川改修や天ヶ瀬ダムの完成により、閘門の役割を終えたとのこと。
今、南北二つの門に挟まれた水路は、十石舟の船着場になっていた。
疎らな客で暇なのか、案内の親爺さんは、ベンチで横になり顔には週刊誌、お昼寝中?
閘門の横には、旧・操作室だった資料館。
三栖閘門の歴史を物語るパネルなどを展示。
ここで思わぬ収穫。
伏見城下、各大名の配置が分かる絵図が掲示されていて、その中に「徳川大納言源家康公御屋敷」の表示があり、徳川様御本丸・二ノ丸・三ノ丸などの表示・・・これは『向島城』?
敷地内、屋外に巻上機などを展示。
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