大和の国を歩く ~ 本薬師寺
碧花の海に浮かぶ寺跡を訪ねてきた。
出発は、
近鉄・畝傍御陵前駅の東口。
駅広にある
モニュメント・・・何?? (※1)
東に、
本薬師寺跡(※2)に向かう。
ホテイアオイ。
西には、
西塔跡と畝傍山。
東には、
東塔跡と天香久山。
東塔跡の礎石。 帯状の凹が四角に廻る。
本薬師寺跡に建つ「
白鳳山醫王院」と「本薬師寺
金堂の礎石」。
その壁に張られた1枚の紙。
(※ 表記は原文のまま)
無題(「わが憩いの場所」欄)
拙宅から20分ほどゆけば、大和盆地への峠がある。
それをこえて3、40分もゆくと飛鳥の古墳と丘陵のむれのなかに入る。
近所だと思って、ときどきゆく。
飛鳥はおなじ大和でも奈良、西ノ京、斑鳩などとはちがい、荒れることからややまぬがれている。
修学旅行団も、観光バスもここまではあまり来ない。
きょう、田の中にある元薬師寺の礎石の群れをさがしあてた。
礎石のむこうは葦牙のにおいたつような万葉ふうの野、といいたいが、そこまで注文どおりにはいかない。
畝傍の裏のただの麦畑である。
(昭和41年6月「
司馬遼太郎が考えたこと 3」)
この後、近世の家並みが残る環濠集落の
今井町に向かった。
(※1) 帰宅後、橿原市に照会したところ、以下の回答を得た。
「モニュメントは、‟龍の玉″です。モニュメントの北側に喫茶店があります。その裏手に龍の噴水があり、駅前整備の際に龍の噴水と合わせて、当時、建設コンサルタントの意見を基に設置されました。」とのこと。
「なんで、‟龍の玉″なんだろう?」との疑問をMFさんに伝えたところ、以下の記事をご教示いただいた。
「畝傍御陵前駅の東側、社会福祉総合センターのあたりには、昔、池があった。「雨字池(あめじいけ)」、通称「大久保池」と呼ばれた。雨字池とは、雨水をイメージして名付けられたという。その昔、何人もの人が入水自殺をしたという伝聞もある。雨字池は、畝傍御陵前駅周辺の都市開発のため、1988(昭和63)年、橿原市によって買収され、1989(平成元)年埋め立てられた。
社会福祉総合センターの玄関前には、龍の噴水がある。駅の東側ということで、東方を守護する四神(青龍・朱雀・白虎・玄武)の一人「青龍」を設置したということである。また、水の神といわれる龍を設置したことは、ここに池があったことを後世に伝えるためでもあり、入水者たちの霊を慰めるためでもあるといわれている。
また、地元の要望により、池の由来が記された石碑も残され、市営立体駐車場の北西の角に移転された。」
出典:植田寿之HP「対人援助のお勉強ブログ」2013年1月6日(日)、10日(木) 奈良県 介護支援専門員実務研修 から抜粋
(※2)本薬師寺跡(もとやくしじあと)
藤原京の薬師寺、後の持統天皇となる皇后の病気平癒を祈って天武天皇が建立を誓願した官寺。平城京遷都で薬師寺が西ノ京に移ると、両寺を区別するために本薬師寺と呼ばれる。
発掘調査により、11世紀初頭まで存続していたことが認められた。
現在は、白鳳山醫王院の境内に、伽藍遺構のうち金堂の礎石の一部が残り、東塔や西塔の心礎などホテイアオイに囲まれた基壇が残存している。
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