東濃&奥尾張の城跡を訪ねて

あきさん

2013年04月07日 13:12

毎年のように行く信州の通り道にあるのですが、高速道路を利用することから、最近はめったに立ち寄ることがなくなった岐阜県・愛知県の東部を2日間、岐阜県恵那市(A)と中津川市(B)の2山城と愛知県日進市(C)の平山城をゆっくりと散策してきました。

混雑前に高速道路に乗りたいと思い、少し早めに出発。
琵琶湖大橋を渡り、Wn・・・、熱気球が2機、「きょう、何かイベントがあるのかな~」って思いつつ、彦根ICから名神高速にオン。
北陸道の分岐までは少し混雑気味だったけれど順調に進み、虎渓山PAで小休止後、小牧JCT付近では満開の桜を楽しみつつ恵那ICで降り、城山の山麓にある藩主邸跡の歴史資料館に駐車。
太鼓櫓、表御門などが復元整備され、また藩校・知新館の正門が移築されています。

この日、岩村の城下では3月初めから1ヶ月に及ぶ「ひなまつり」。
「伝建地区」の家々では、通りに面した窓際に雛飾り。街の所々に「女城主」の旗差し。

天気が良ければ、整備の進んでいない山城を訪ねたかったのですが・・・。岩村城を登山中に霧雨が・・・で、急遽、2つ目の探訪先を整備された苗木城に変更。山腹の資料館を見学しているうちにすっかり雨も止み、爽快な気分で訪ね歩くことが出来ました。
それでは、・・・

(A)岩村城

日本三大山城っていう割には城下からの比高差がわずか170mほど。資料館から緩やかな坂道を登って行くと、やがて道はアスファルトは石畳みに。ほどなく「一之門」を過ぎ「大手門」の高石垣が現れてきました。

屈んで石材を観ていると、なんとなく『気配』が・・・後ろを振り返っても誰もいない。「誰かいる・・・」と思いつつも石を観察。
「Wn・・・?」。ま、ま、ま上、石垣の上。頭上3mほどのところ、カモシカです。微動だにせず。
カメラを構えたのですが、近すぎて全身が入らないので、後ろに下がってパチリ。動かない、こちらをジーと見ています。

数枚、撮った後、坂を少し登り石垣の上に・・・カモシカは? 
ゆっくりと移動し郭の端まで行って、木の影から暫くこちらを見ていましたが、やがて藪の中に消えていきました。

これまで何度もカモシカを見たことがあるのですが、これほど近く、鼻息が感じられるほどの至近距離での遭遇は初めてでした。

ここから石垣を持つ郭が本丸まで続いています。
時々、深い山霧が襲ってくる。霧が良く出ることから、岩村城は別名「霧ケ城」と呼ばれているそうな。

圧巻なのは、本丸の北東側の石垣。雛段状に6段の石垣は、長方形の石材を交互に組み合わせた落とし積み技法で築かれており、織豊期のものではなく、後年に再構築されたものではないかと推測。とくに、側面から観ると、最上段まで一気に築いた高石垣を補強するかのように、その前面に2段目、3段目と順に低く築かれたことが分かります。

織田vs武田の争奪戦が繰り広げられた往時を偲ぶに十分な遺構でした。
石垣も素晴らしいのだけれど、もう少し展望があると、もっと素晴らしい絵になるのでは・・・。
なお、本丸直下の出丸までクルマで上がることができます。

(B)苗木城

雨に備えてリストアップしていた予備の城跡なのですが、意外や意外、岩村城以上に好感を持ちました。 十数キロしか離れていない岩村城との差は、PR不足(下手?)のため認知度が低いこと。

山腹の「遠山史料館」で縄張図をいただき、ルートを確認。館員さんから勧められたとおり、資料館の裏道をクルマで少し上った所にある「三の丸」下の「竹門」跡の前に駐車。
ここ「竹門」・「足軽長屋」跡から、ほぼ水平に移動。こちらは子供でも楽に上れそうです(^J^)

さて、「歩いた。」って言うほどの距離もなく、山腹をまわると眼前に岩山とその上に組まれた展望台(懸造りの柱)、手前左(北方向)の「三の丸」に「大矢倉」の重箱積み石垣。3階造りの櫓遺構は、石垣に大きな自然石を取り入れ、必要最小限の加工を施した上に石や柱を組んだ様子が容易に想定できます。


「千石井戸」、「大門」に入ると谷側に書院や藩主住居跡の礎石が残る「二の丸」。そして、石段を上ると「天守台」に出ます。「二の丸」と「天守台」の間は石垣ではなく自然石を上手く利用しています。 「天守台」のひときわ高く大きな石の上に柱で組まれた展望台がありました。
往時は、懸造りの建物があったようです。
柱は、石の所々を加工して平坦になった上に載せてありました。


木曽川に張り出すような山上に造られた城からは、生憎の天気で恵那山の山頂は見えませんでしたが、それでも東から南・西へと流れる木曽川をはじめ四周の素晴らしい展望です。

下山は、自然石の上に建つ天守台の下をぐるりと一周してから帰路に着きました。

岩村城に訪れた際には、ここにも足を延ばしたい必見の城跡だとの、また、東濃にある未踏の城跡を訪ねてみたいとの思いを強くしました。

(C)岩崎城

昨秋、小牧城を訪ねて以来、気になっていた城跡です。小牧・長久手の戦いの最南端。
市街地にある市民の憩いの森(小山)になっています。この日も保育園児をはじめたくさんの家族連れが訪れていました。
駐車場のすぐ脇には大きな空堀(空堀の延長を駐車場として活用している?)

「二の丸」裾を回り込むように造られた散策路により東側から「二の丸」に入城。この途中、一番きつくなったカーブの「二の丸」と反対側、少し気になって藪の中に入ってみました。北東~東に20~30cmの土塁状の高まりがありますので、「出郭」の遺構でしようか。であれば、この「出郭」と「二の丸」の間の散策路は堀切?

さて、「二ノ丸」との説明があり作庭されていますが、R部に土塁を構えた半月状の平面、後ろの主郭との間は大きな堀と土橋から、大きな「馬出」遺構ではないかと推定されます。
「二の丸」から箱堀を土橋で渡ると北側を土塁で守られた天守台の南東部に模擬天守がありました。晴天のこの日、南方向の展望が開けていました。

先ほどの土塁の西部分に櫓台がありますので、往時は、ここに見張り台があったのでしようか・・・?
現在、天守台の下には大手門や高石垣がありますが、これらは往時には無く、公園として整備するにあたって新たに造作されたものでしようか。この日、天守台にある資料館は休みで確認できませんでした。

なお、天守台の西部に整備中に発見された「岩崎城古墳」、両袖式の石室が保存されていました。天井石はありません。


(D)おまけ~「長久手古戦場」跡にも立ち寄りました。

40年ほど前の学生時代、先輩諸氏の反対を押し切って催行したロードワンデリングの試み。
名古屋・東山から歩いて来た。当時の竹藪と灌木は全く無く、住宅地に隣接した街の公園に変わっていました。
「古戦場碑」と池田恒興が戦死した場所といわれる「勝入塚」(入道した恒興の法名)があります。


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