2014年03月02日

和泉の国・堺~岸和田を訪ねる①

羽曳野から西進して堺市のほぼ中央部にある「土塔」を見学後、南に向かい和泉市にあり敗戦後間もない昭和25~26年に末永雅雄・森浩一氏などが発掘調査した「黄金塚古墳」に立寄ったあと久米田寺・同古墳群、岸和田城を探訪した。

土塔(堺市中区)
堺市のリーフレットによれば、行基建立四十九院の一に数えられている大野寺が神亀4年(727)に創建され、その境内に土塔も築かれたとのこと。 発掘調査により、神亀4年と神亀5年の文字瓦が出土したことから完成までに複数年を要したこと、その後修復を繰り返し室町時代までは塔として機能していたと考えられている。
和泉の国・堺~岸和田を訪ねる①

和泉の国・堺~岸和田を訪ねる①

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【土塔の構造】
一辺53.1m(180尺)・高さ8.6m以上(30尺超え)の四角錘の階段ピラミッドのような形状。
高さ1.2m(4尺)・幅3m(10尺)の基壇の上に13の段が築かれている。
各段の高さは約0.3m(1尺)。
瓦を葺いた屋根幅は初層2.7m(9尺)・二層2.4m(8尺)・三層2.1m(7尺)・・・十一層(4尺)と下層から順に幅が狭くなっている。
十二層に直径約6mの円形に粘土が並んでいたことから、頂上の十三層だけは円形の構造であったと想定されている。
和泉の国・堺~岸和田を訪ねる①

和泉の国・堺~岸和田を訪ねる①

平瓦の上に丸瓦を組み合わせる本瓦葺、約60,000枚。平瓦の上下の重なりは全長の1/4(約9cm)。丸瓦は無段式(行基式)。

基壇の外装は瓦積み。1/4ほどに割った丸・平瓦による5段・高さ12cmの平積み。
和泉の国・堺~岸和田を訪ねる①

1,300点以上の文字瓦が出土。その大半は人名が記されており、これらは行基の活動に従い土塔建立に参加して瓦を寄進した人々(「知識衆」)であるとのこと。

土塔の北西約170m離れた丘陵の斜面から土塔に葺かれた瓦を焼いたとみられる半地下式の平窯が2基見つかっている。
また、北方約460mにある菰池は、行基が天平13年(741)以前に造った薦江池(こもえいけ)と考えられている。


和泉黄金塚古墳(和泉市)
和泉の国・堺~岸和田を訪ねる①

和泉の国・堺~岸和田を訪ねる①

信太山丘陵の北西端に位置。全長約94m、後円部の径約62m・高さ約9m、前方部の幅約42m・高さ約6.5mの2段築成、古墳時代前期後半(4C後半)の前方後円墳。墳丘の周囲は∩状(馬蹄形)に平坦に造成されており、周濠はなかった。
※ 墳丘周囲の平坦部を考慮し、全長約97mの3段築成、佐紀陵山型の墳形とする見解もある[岸本直文]
後円部にコウヤマキの巨大な木棺を粘土で覆われた3基の粘土槨が並行していた。
最も大きな中央槨は長さ8.7m×径0.75~0.89mの割竹形木棺、棺内から斜縁二神二獣鏡、棺外から景初三年陳是作画文帯同向式四神四獣鏡が出土。棺内に武器なし。
東槨は長さ8.5m×幅0.7mの刳り抜き式箱型木棺、画文帯環状乳四神四獣鏡2面と三角縁盤龍鏡が出土。
西槨は長さ4.37m×幅0.53mの組合せ式箱型木棺、画文帯同向式神獣鏡が出土。
東槨と西槨は甲冑・鉄鏃を副葬。
鏡6面はいずれも3C前半頃までの製品。
※ 2C後葉~3C前葉の画文帯神獣鏡3面、景初三年(239)鏡、340年代?の三角縁盤龍鏡、3C前葉の斜縁二神二獣鏡
中央槨と東槨はほぼ同時期に埋葬、西槨は時期を少しあけて追送されたものと見られている。
※ 中央槨の被葬者は呪術的・宗教的首長(女性)、東槨は軍事的・政治的首長(男性)か?

・・・和泉黄金塚古墳の被葬者は佐紀王権のもとで前方後円墳を築造したが、帯金式短甲を2領持ち、佐紀王権よりも河内で権力を構築しつつあった津堂城山古墳の被葬者との関係を深めた人物像が浮かぶ。

・・・卑弥呼の朝貢年である景初三年銘鏡が1951年に出土して、三角縁神獣鏡をめぐる戦後の論争の起点となった黄金塚古墳、墳丘は整備され雑草などはなく歩きやすいものの、これまでの発掘調査のトレンチ跡?あるいは旧陸軍の塹壕跡?なのか、いたる所に凹地があり痛々しい限りの姿を晒している。
和泉の国・堺~岸和田を訪ねる①

和泉の国・堺~岸和田を訪ねる①


後円部西側の裾、トレンチ跡?の壁面に層状の葺石が確認できる。
和泉の国・堺~岸和田を訪ねる①


後円部の主体部上に黄金塚(末永・島田・森の3氏の刻銘がある)の石碑が建っている。 調査後の埋戻し土量が少なかったのか、この碑の下、南西部をよく観ると土の表面に凸凹があり主体部輪郭?を想定できる。
和泉の国・堺~岸和田を訪ねる①




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Posted by あきさん at 07:01│Comments(0)古代大阪古墳歴史
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